早稲田大学 政治経済学部 猫本 凜
はじめに、この度CSW63に参加させて頂いたことを心より感謝致します。一大学生である私にとって、このような大変貴重な機会を持てたこと、忘れられない経験ができたことを本当に嬉しく思います。
CSW63を通して、多くのことを学びました。女性問題に関して、日本にいるときには知らなかったものから、私の生活に身近なものまで、様々な分野の問題と実際の声を聴いて参りました。感じたことは多々ありますが、今回最も感じたことは、男女平等を実現するのに最も大切なものは教育であるということです。
例えば痴漢や性業界ビジネスといった、女性の自尊心を軽視する風習は日本でよく見られますが、これは日本での性教育の問題が招いた結果であるように感じます。性への興味が芽生え始める10代に十分な性教育を行わないこと、男女を分割して保健の授業を行うといった風習が、その後の相互の性への誤解や不十分な理解につながると考えます。現地でこのトピックのパラレルイベントに出席致しましたが、海外の方々の反応が驚きと怒りに満ちていたことが印象的で、日本人としてこの事実を恥ずかしく思いました。日本の男女平等は世界的に遅れているという話は聞いたことがありましたが、ここでもそれを実感しました。男女平等を目指すには、このような意識を適切な教育によって根本から変える必要があるように感じました。
他方面からも、教育の違いによってジェンダーの価値観に相違が生まれる例を見て参りました。特に印象に残っているのは、FGMに対する世界の考え方です。FGMとは女性性器切除を意味しますが、私は現地でこの体験者の話を聞いて初めて知りました。初めはただ衝撃を受けました。女性を精神的にも身体的にも傷つけ、科学的な観点から見てもメリットがないように感じたからです。しかし次第に、この考え方は、この文化がない国に生まれ育った私だからこそ持ち得たものだということに気付きました。当事国の人々にとってみれば、それは昔から受け継がれてきた慣習だからです。FGMは撤廃すべき、と主張するパラレルイベントにも参加しましたが、それはFGM当事国によるものではなく、先進国の人々が主催するものでした。私はここに、育ってきた文化による考え方の相違を見ました。一方、当事国の中でもFGM反対の声が増えています。これはグローバル化した時代の変化によるものだと感じました。 教育と文化は密接不可分です。そしてこれらは、極端に言えば洗脳だと思っています。幼少期から当たり前だと思っている文化に疑問を持つには教育が必要不可欠です。同時に、様々な文化を交えて知見を広めることも大切であり、この繰り返しが文化の再構築に繋がります。男女平等についても同じことが言えます。各国の男女平等に対する意識は、その国の文化と深く関わっています。そしてその意識を変えていけるのは時代に合った教育です。変わりゆく時代に柔軟に対応した教育を受けることが何より大切であるように感じました。
南山大学 外国語学部 英米学科 中島 美穂
CSW63に参加したことは、世界のジェンダー問題について深く考えるきっかけとなった。日本の男女不平等に関して興味があり参加したが、世界で起こっている男女不平等に関しても直接触れ、考える機会となった。私が一番興味を持ったのは、FGM/C(female genital mutilation/cutting; 女性性器切除)についての問題である。私はCSW63に参加する前、FGM/Cについて知らなかったので、その内容に衝撃を受けた。FGM/Cとは、アフリカを主とした世界中で、女性の処女性を守るために伝統的に行われてきた通過儀礼の一つである。しかしその多くはきちんとした医療プロセスを踏んでおらず、出血多量や感染症で死に至る可能性もある。FGM/Cを禁止する法律もあるにも関わらず、年間約200万人がFGM/Cを受けている。それは、FGM/Cを受けないと、嫁げないという言説があり、両親が(とりわけ父親が)子供に強制させているからである。私がFGM/Cを知ったのは、CSW63でSWF international の創立者であり、FGM/C根絶に向けて働いているDr, Nina Smart の公演を聞いたことがきっかけである。彼女は、ルーマニアで生まれ、西アフリカのシエラレオネで育ち、1991年にシエラリオネの慣習であるFGM/Cの危機にさらされたが、彼女はその慣習から逃れアメリカに移住した。もちろん、今でもシエラリオネでFGM/Cの慣習は根強く残っていると彼女は話した。しかし、1991年から今日に至るまで、何も進歩がなかったわけではなく、1991年には議論されること自体タブーだったFGM/Cという話題が、現在こうやって声を上げることができていることが、FGM/Cの根絶に向けた進歩だと語っていた。そこでFGM/Cについて興味を持った私は、Addressing FGM in the US という公演も公聴した。彼らは、FGM/Cを科学的な証拠を持って「まったくもって非利益的なもの」と考え、FGM/Cの根絶のためには西洋の科学を信用してないアフリカやアジアの人々から信頼を得、FGM/Cが一つも利益をもたらさないことを理解してもらうことが重要だと述べていた。しかし、私は、彼らがFGM/Cという慣習が野蛮なもので、彼らによってアフリカやアジアの人々を教化させる必要がある、というような論調で話していることに違和感を覚えた。FGM/Cは西洋的価値観からは、全くもって非利益的なものであろうが、それを慣習として伝統的に行ってきた人々にとっては、精神的支えになっている可能性もあるのである。FGM/Cを行ってきた彼らの伝統文化を尊重せず、上から自分たちの価値観を押し付けるような方法では、むしろ彼らの抵抗感が増すだけであろう。その公演終了後の質問で、FGM/Cを受けた少女が言っていた、「私たちが声をあげることのできるプラットフォームか欲しい。」この言葉こそ、真実だと思った。実際に受けた人々が、自分の気持ちを外に発信することができる場所を作ることが、一番の支援に繋がるのではないかと感じた。CSW63を通して、多様な視点から物事を観るということの大切さを改めて実感することができたように感じる。
神戸女学院大学 文学部 英文学科 徳富 郁香
最初はCSW63という言葉さえ知りませんでしたが、様々な方々のプレゼンテーションを聞くことによって、本当の意味のCSW63を知ることができたように思います。ニューヨークへ行く前は、周囲の環境を変えて、女性が生きやすくすることが重要だと考えていました。しかし、女性自身の意識を変化させることで女性の立場や地位を高めていこうとする考え方もあるのだと知りました。その方法は、まず、自分の理想像を想像し、そこから自分に欠けている部分を埋める方法を考えるというものです。そして、そのために社会をどのように動かしていくと良いかと自分に問うというものでした。実際に、このセミナー時に、呼吸を整え、精神統一をし、相手と向き合って、目と目を合わせ、何を感じたか等と話し合いをしました。そこから、自分に何ができるかを考えました。今までこのような事をしたことがなかったので、新鮮な気持ちになりました。また、自分自身の意識を変えるという考え方もあるのだと初めて知りました。私にとってCSW63とは、国際交流を通して自分の考えをより良くし、視野を広げるものだと思いました。
またLanguage fairという、男女で言葉の表現が違うものは何かと考えるセミナーもありました。Language fairでは、実際に議論等はしませんでしたが、関心があり、学校の友人とともに表現の違う言葉は何かを考えました。例えば、保母と保育士、女優と俳優、婦人警官と警察官、保健婦と保健師、助産婦と助産師、奥さんと主人、看護婦と看護師、女子サッカーと男子サッカー、また、スチュワーデスやキャビンアテンダント、客室乗務員などという表現の仕方があると再認識しました。普段使っている言葉が、気づかないうちに男女で識別された表現の仕方になっていました。差別用語ではありませんが、男女で分けられた言葉なので、好ましくないと思いました。この他にも、幼い子どもであっても、女性は何でもできると主張していたNGOグループもありました。Girls can do anything. この言葉は大切だと思いました。 今回、憧れていた国連に行くことができて大変嬉しく思っています。今回のテーマ、Social protection systems, access to public services and sustainable infrastructure for gender equality and the empowerment of women and girls (女性と女児のエンパワーメントとジェンダー平等のための社会保護制度、公共サービスへのアクセスと、持続可能な社会構造)の事を深い所まで考えることができて良かったです。UN Womenが主催するCSWがあると教えてくださった、Yolanda TSUDA教授をはじめとする、支えてくださった日本パシイワの方々、その他のNGOグループの方々、家族、友人に心より感謝申し上げます。大学生活の中で忘れることのできない、貴重な経験をさせていただきました。ありがとうございました。
~気付きから行動、そして学び、次のステップへ~
神戸女学院大学 文学部 英文学科 仙石 梨花
「—参加したくないの」。授業中、Yolanda先生が私を含む生徒に声をかけて下さいました。実を言うと私は、毎年3月頃にニューヨークで開催されるCSWの存在を大学1年生の頃から知っていました。しかし、実際にCSW63への参加が決定するまでは「行ってはみたいけれども、私が行ける筈がない。参加者は私よりも英語がペラペラで賢い人ばかりなのだろう」と思い諦めていました。心の底の何処かで自分の可能性を否定している私がいたのです。「CSWへの参加」。2年生の後期学期を迎え、この言葉が再び教室内で響いた時、私の中で何かが動き始めました。「そうだ、やはり私は国連に行って世界をこの目で見てみたかったのだ」と、その時ようやく自分の正直な気持ちに気付いたのです。 約2週間にわたり国連本部で開催されるCSW63に参加し、ニューヨークで過ごした日々は私の大切な宝物になっています。まず、Pre-CSW63 Youth Dialogueでは少人数グループで「日常でジェンダーギャップを感じるのは、どんな時か」などの会話から始めて様々な問題に目を向けながら視野を広げました。この意見交換があったからこそ、私はその後の2週間において疑問に思った事や取り組みたい事を掘り下げる事が出来たのです。FGM(女性器切除)、Child Marriage(児童婚)、Sexual Education in Japan(日本の性教育)などの問題に対する気付きは、CSWに参加したからこそ得られたものだと私は思います。その中でも、FGMを終わらせる為の活動をされているDr. Nina Smartとの出会いは特別でした。彼女に私がPPSEAWAに応募する際に書いたFGMについてのペーパーを読んで頂き、会話とメールのやり取りを通して「教育と知っている情報を発信し続けることの大切さ」を再確認しました。だからこそ、帰国後はInstagramにFGMに関する投稿をして、この先の世界に生きる1人として出来る事を始めました。自からが動き出し、導き出す事で「次のステップに繋げたい」という気持ちが強くなったのを感じました。
~女性の“働きたい”と“子育てしたい”という権利~
津田塾大学 学芸学部 国際関係学科 田村咲
3/11から22日までニューヨークの国際連合本部で開催されたCSW63 (国連女性の地位委員会)ですが、私は13~17日という短期間での参加となりました。以前より国連には強い憧れを持っており、将来はこういう機関で働きたいと切望しているため、短期間ではありましたが、毎日8:30~20:00まで、合計17のセッションに参加してき、多くのことを吸収できたと思います。その中でも印象的だったのがインフォーマルセクターで働く女性の権利についてです。
インフォーマルセクターは、正式な経済活動ではないため、金融や行政のアクセスが難しい一方で、彼らもちゃんと税金を支払っているかグレーな状況です。現在アフリカでは経済活動の60%がインフォーマルであると言われており、そこで活躍する女性も少なくありません。むしろ、家事や子育てがある女性にとって、時間や休みの日が固定され、自由が利かないフォーマルな働き方(例えば工場勤務等)より、自ら好きな場所に好きな時間で商売ができるインフォーマルセクターは非常に働きやすく、魅力的だという意見がありました。ガーナのアクラ市場では、そんな女性たちが集まっており、子供を抱えたまま商売するのは難しいから、どうせなら市場の端に子供たちを預けられる託児所のような空間が欲しいという主張がありました。国が違えど、ジェンダー格差の深刻度や経済環境が異なっていても、働く女性の意見は今の日本と変わらないのだなと、非常に印象的でした。他の参加者もその意見に同意をしていて、雰囲気のいいまま議論が終わるかと思った矢先、最後の最後に国連職員が「最終的にはインフォーマルセクターを無くさなければならない」とぴしゃりと発言した時、国連のこのようなやり方は本当に正しいのだろうかと疑問を感じてしまいました。 このように、強い憧れを持ってた国連やそれを取り巻くNGO側の主張の異なりを肌で感じることができ、大変勉強になりました。一方で、特にアフリカ諸国が開催するイベントなどは、一人の発言に共感、反響の連続で、とても感情的な粗い議論もありました。確かに、自国で起こった深刻なケースを取り上げ、それに対する男性への意見を述べることも大事ですが、実際今回のCSWではほとんどが女性で、どんなにいい意見を言っても、男性には届きません。やはり、本当のジェンダー平等を勝ち取るには、男性側の理解、協力が必要です。もう63回もやっているのなら、そろそろ男性も積極的に交えた議論をしてもいいのではないかとも思いました。